minimamuch’s diary

父が倒れたのをきっかに、ミニマリストになりたいアラフォー主婦のつれづれ・・

父の血縁者

父には、3人の子供がいる。

前妻の間に、長男。

私は、見たことない。

私の母との間に、娘二人。

長女、パニック障害。電車とか、圧迫感のある乗り物に、乗れないらしいが、海外には、行けるらしい。

物が捨てられない、片付けができないで、ゴミだらけで、生活。

幼少期、父の母への暴力、暴言、脅迫を見てきた。

父が姉を誘拐して、母が苦しめられていた。父から、胸や、おしりをさわられて、泣いていたり。

そして、妹の私。

私が産まれてからは、夫婦喧嘩ましやったみたいあれで、。

ただ、窓割れる、蹴飛ばす、皿わる、怒鳴りちらし、感情のコントロール不良あり。


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三つ子の魂100までを私は、恐れている。

旧医院の現状回復どうする

ゴミ屋敷で、ゴミに埋もれて、一命をとりとめた我が父。

旧医院の玄関。

50年前に、ここで、母と出会ったはず。
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右手に医院の受付がある。

左の奥に待ち合い椅子がある。

その椅子をベッドにして、生活していた。

その上にも管理できない、がらくたの山。
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こんな、通り道無い空間で、どうやって、生活をしていたのだろう?

頑固親父で、聞く耳を持たない。

母のお腹を蹴ったり、母を脅迫したり、私の携帯に非通知で、嫌がらせをしていたので、老いた父でも、恐いです。

現状回復誰が責任もつ?

仏壇どうする?


f:id:minimamuch:20170527212117j:image空き家で、ずっと、放置されてきた仏壇。

父に引き取りたいと申し出ても、ただただ、拒否。

92年に亡くなった、母のお骨も仏壇の中にいれたまま。

娘の心情としては、早く、納骨したい。永代供養のお寺なんなりに。

父との、話し合いで解決は、無理だった。

一ミリも、仏壇や骨を動かすのは、許さないと。

空き家で、仏壇放置している売物件なんか、ありえるの?

物を減らす勇気が無い場合の第一歩

人に読んでもらう用では無く、自分がしてきたことを記録にとどめようと始めたブログ。

内容にまとまりがなく、素人感がいなめず、話が支離滅裂な文章展開にアクセスしてくれる方がいるとは、はげみになります。

さて、父が10年近く空き家で放置していた部屋に、そのまま眠る家具。

過去の本人の栄光とまでは言えないけれど、医院を50年近く、自営してきた父が昔購入したオーダー家具。
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幅も奥行きも重量感があって、マンション暮らしの私の部屋にはこのままの状態ではとても持ち込めないけれど、やっぱり、本人から、やっと処分の許可がいざ下りても、処分出来ない。

家具の立場からしたら、廃墟で長年放置され、劣化ややけ、塗装が剥げおち、埃まみれで、かわいそうな姿です。

今回の実家の処分の際に、このまま放置して売りに出すか、処分するか本当に悩んだ末、第三の選択肢である。

家具のリメイクを選択した。

私は、ミニマリストを目指したいし、家具は最低限の広々とした掃除のしやすい空間での生活に、今、憧れているはず。

こんな、たとえ、リメイクをして、四枚扉のこちらのサイドボードをマンションサイズの三枚扉にリメイクしても、一人で運べないし、凄い奥行きがある。

けれど、やっぱり、処分、捨てることに抵抗があって、やっぱり、できなかった。

結局、新しい家具を購入する以上に、費用がかさんだが、リメイクした。

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横幅は扉一枚分コンパクトになり、塗装をやりなおしてもらい、きれいに磨けば、また輝きを取り戻した。

手付き家具の木のぬくもりを感じながら、私のマンションにまた一つ、父の物を持ち込んでしまった。

このままでは、ぷらす、マイナスで見た際に、物がどんどん増える我が家になりそうなので、一日最低、3点以上物を処分することをここに誓います。

今日処分した物

①メルカリで売れた医学系本1冊⇒父の物

②使い古した、菜箸

③9枚洗濯のネット(障碍者の作業所のリサイクルショップ店に寄付)⇒父の物

④50本以上の蛍光ペン新品⇒父が購入した物

自宅ガレージのその後

見た目には、単なるがらくたに見えますが、


f:id:minimamuch:20170526000009j:imageよくみると、硫酸などの薬品のビンや、バッテリー液など、処分の難しいものもたくさん

なんと市の臨時ゴミ回収で以下の二点以外を回収してもらえた

 


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費用は、トラック2台きてくれて、五千円。

収集癖や、買い物依存で蓄積されたものは、長年放置され、劣化も激しく、利用されず、ゴミとなりました。錆びた釘や錆びたまっさらのスチール棚とか、本来の役目をはたさず、処分されました。

今さら、心が傷みます。

むやみに、物を買わない、自分の子や孫に、片付けを押し付け、迷惑をかけたくない。

シンプルライフにシフト転換したい。

ガレージの広さに驚きつつ、心の中にあった、もやもやや、がらくたも、一緒に処分できた様な気がしました。

父が以前、暮らししていた自宅の状態

父が作ったゴミ屋敷は、3つ。

そのうちの、一つが旧医院。

そして、車の中と、自宅。

今回は自宅について。

高齢の父にとっで、坂道が多い、郊外でのひとり暮らしには限界があったようで、空き家で放置されていた、私の実家。

普通車が2台入る、地下、駐車場。
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恐ろしい。

こんな状態で、長らく放置していた。

これは、一番ひどい時より、ましな状態。

しかも、こんな状態で売りに出していたらしい。空き家で、しかもこんな状態でほったらかしにしていて

家も泣いていると思う。

この駅から徒歩一時間の邸宅を処分できなかったのは、父には、母との思い出が詰まっているから、それを失いたくないからかな。

だいぶ前から、私は、自宅処分の話を持ちかけていたが、かたくなに、物を処分することを拒んでいた。

たけるちゃんがミニマムリストになりたいと思った経過

父の職場(旧医院)、父の自宅、車の中・・・・

あたらこちらが、ごみ屋敷化していて、ものすごい状況になっていて、ただ唖然とした・・。

昭和10年代生まれ、終戦の年に生まれ、物の無い時代に世代に育った父にとって、

勿体ない思いが強く、今日、物への執着として現れているのだと思う。

後、人嫌いの性格で、買い物依存や物を溜め込むことに心の拠り所を求めていたのかもしれない。寂しかったんだろうな・・。

 

そういう姿を何か、他人事のように見てしまう自分にも嫌気がさしてしまう。

私の幼少期に、暴力や脅迫などを母にしている姿を度々、見て育った私は関わりが怖くて、何かしら、放置というかほっておきたい気持ちでこの年齢に達してしまった。

中学の時に私の母が亡くなって、あまり、父は、自宅に戻らなくなっていたので、同居時間は短いとは思う。

なんか、大声で怒鳴ったり、被害妄想が父には強かったので、帰ってこないで、ホットしていた自分がいたのを覚えている。

潔癖な父は、掃除のできない姉や私に、大声で怒鳴りちらし、ここが埃だらけ、あそこが埃だらけと洗剤をまき散らし、怒鳴り散らしていた。

彼の中でのストレス発散だと思っていた。

確かに、私は幼少期から、片付けが苦手で、何度言われても、掃除や片付けがとにかく苦手だった。

脱いだ衣類はほりっぱなし、お風呂にも入らなくても平気な人だった。

台所に腐った物があっても、平気な中学生だった。今はそんなに、綺麗好きではないけれど、さすがに、腐敗した物がキッチンにあったら、気持ち悪くて仕方ない。

やっぱり、生活習慣って怖いと思う。

物の管理、整理整頓が苦手な私にとって、ミニマムな暮らしはやってみたい。

こんなに、ミニマリストになりたくなったのは、やはり、「ゆるい まいさん」の影響が大きい。

厳選された自分のお気に入りの物たちに、囲まれて住む暮らしとかしてみたい。

仮に、急にゆるりさんが万一、亡くなっても家族に迷惑がかからないのも想像がつく。